2-心臓病手術
(入院:2014年7月22日~8月9日・手術日7月25日)


健診で「心臓に雑音あり」と指摘され、詳細検査結果から野村文一医師より二つの症状名を告げられ、その二つの手術
 は約8時間にわたって行われた。

 ■「大動脈弁狭窄症」(だいどうみゃくべん きょうさくしょう)
    全身へ血液を送るポンプとして働く心臓には大きく分けて4つの部屋があり、血液の逆流を防止するために各々
    の部屋の出口に「弁」がある。その中で左心室と大動脈の間にある弁を「大動脈弁」という。
    動脈硬化、変性、先天性二尖(にせん)弁など様々な原因でこの弁が固くなって弁の働きが悪くなり血液の出口
    が狭くなってしまう病態をいう。

   私の場合、加齢により弁が変性し弁がしっかり閉じなくなっている。弁口面積も狭く圧較差(心臓と腕の血圧差)
   が25mmhgもあった。

  弁の出口が狭くなると 、血液を送り出すために心臓には過大な負担がかかり、初期の段階では心筋(心臓の壁を構成する
  筋肉)を肥大させるという代償(補う働き)機転が働くため、長期にわたって心雑音があっても無症状で経過することが
  少なくない。
  しかし、負担が重なると徐々に心機能が低下し、「狭心症」(心筋への血液が不足し胸の痛みが出る)、「失神発作」
 (突然意識がなくなる)、「心不全」(息切れ、むくみ、易疲労感など)などの症状が出始めてからの予後(病気の治った
  後の経過)は急激に悪化し、突然死の危険性もある。

手術 ~ 全身麻酔で行われた。
     胸部を切開し開胸器で肋骨間を広げる。胸部鎖骨を開くために胸部正中切開を行う。
     胸部正中切開とは、最初に皮膚切開を行い、胸骨を露出した後、胸骨切開用電動鋸で胸骨を身体に対し縦方向に切開
     して左右に分割する。このため胸には約20㎝の傷が残る。
     いったん心臓を止める必要があるので、「人工心肺」という特殊装置を使って体中の血液循環を維持する。
     また、30℃前後まで体温を下げることで全身の臓器を保護し、心肺停止中の心臓には「心筋保護液」という薬剤を潅
     流(かんりゅう=血管を通して人為的に血液を流すこと)する。鎖骨を閉じるにはワイヤを用いる

■「労作性狭心症」(ろうさせい きょうしんしょう)または「虚血性心疾患」(きょけつせい しんしっかん)
  「労作性狭心症」(虚血性心疾患)とは、運動などの少し激しく体を動かしたときに症状が出るタイプの狭心症です。
   体を動かすと体の筋肉は酸素を多く必要とするので、全身の血流を早くするために心臓の動きが活発になります。
   心臓の動きが活発になることで、心臓の筋肉(心筋)にも多くの酸素が必要になるので血流も多く必要になります。 
   しかし、冠動脈が動脈硬化(粥腫)により狭くなってしまっていると、狭くなっている先に多くの血流がうまく行
   き渡らなくなる。
   そのために心筋が酸素不足になってしまい、狭心症の発作が起こってしまう。

 私の場合、冠動脈に3か所の血管に狭い個所が見つかった。そのうち1カ所は末端にあり支障はないので今回この2箇所につい
 て手術が行われた。

手術 ~ 全身麻酔で行われた。
  狭くなったり閉塞している冠動脈の先に別の血管(グラフトと呼ばれ胸の血管)をつなげ、血液がその道(バイパス)を
  通 り、これによって血流の少ない部位により多くの血液を流してあげるのがこのバイパス手術と呼ばれるものです。
  それにより心筋の血流不足(酸素不足)による狭心症が改善され、また狭い部分が閉塞しても心筋梗塞になりません。
  つまり命綱になるわけです。


入院中から書いていた日記から主な出来事を抜粋しました

7/24(木)

  ・手術前日心臓血管外科医野村先生から「大動脈弁狭窄症」と「虚血性心疾患」に対する治療法の説明があった。 
    この時は妻と二男も同席した。(長男は東京住まい)

  ・大動脈弁狭窄症の治療法として行う「弁置換術」とは、悪い弁を新しい弁に取り換える手術の事
   「弁」には「機械式」と「生体式」の二つがあり、模型で説明されそれぞれ一長一短がある。この弁の選択は患者自身が決める
   ようです。
   弁の寿命、自分の年齢、術後の生活などから家族と相談そしてネット情報を参考にして、私は「生体式」を選択した。
   (医師の中には70歳以上の患者には生体弁を勧めている)
     

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内容

生体弁

機械式

構造

開いたり閉じたりする弁膜に、ウシの心膜を使用

人工の材料から構成されている

耐久性

術後約15年位、長くて20年の
耐用年数

耐久性に優れている。特殊な事情がなければ弁交換再手術は不要

血行動態
(弁としての働き具合)

機械弁との優劣は付けがたい

構造や材質に長年改良がくわえられほぼ問題はない

抗血栓症
(血の塊の出来具合)

血液の塊が出来づらく、ワーファリン内服は術後3ケ月まで服用する。但し心房細動の不整脈の場合は飲み続ける

血液が機械弁に塊が出来やすいので一生ワーファリン服用が必要。出血性・血栓形成合併症のリスクが高い

その他

-

人工弁の開閉音がすることがある

     
     *「ワーファリン」は、ビタミンKの働きを抑えて血液を固まりにくくし、血栓ができるのを防ぐ。
      静脈血栓症、心筋梗塞症、肺塞栓症、脳塞栓症、脳血栓症などの治療や予防に用いられる。
      納豆、青汁、クロレラなどビタミンKが多く含まれている食品はワーファリンの作用に拮抗してしまい、効果をなくして
      しまうため食べることはできません
      
      *私は「生体式」弁で、術後もこのファーファリンを服用することはなかった。

  ・「虚血性心疾患」では、大動脈の狭くなっている血管に、橈骨動脈から持ってきた血管をバイパスとして手術を行う

  ・手術前日は、手術中脱水状態になるので吸収の早いOS-1(経口補水液で、ナトリウムやブドウ糖
   を最適なバランスで配合した飲料水)を、2本無理して飲んだ。


7/25(金
  ・手術当日8時半過ぎ、病室からストレッチャーで手術室に入るが、その前に血圧計、心電図、酸素を測る器械を装着し、
   点滴用の管が入る。全身麻酔が開始される。
器械装着イラスト
   手術室に入る頃には意識は薄れてきた。

  ・10時頃手術開始。
   執刀は野村文一医師が行った。
   手術室には心臓外科、内科、麻酔科医師そして看護師や検査技師の
   体制となる。

   約8時間の手術を終え、ICU(集中治療室)に移され看護師の完全看護
   に見守られる。
     *ICU(Intensive Care Unit)は、呼吸、循環、代謝その他の
      重篤な急性機能不全の患者の容態を24時間体制で管理し、より効果的な
      治療を施すことを目的としている。

 手術後こんなことがありました
  ①術後目が覚めた時に看護師さんから口に入れてくれた氷片のおいしさは格別なもので、意識が戻り無事生還できた事が忘れない。
  ②何か気が付いた時にメモをしていたが、後日そのメモを見るとミミズが這ったようで何が書かれているのか意味不明だった。
    ベッドの使い勝手についてメモを付けていたようで、その時はしっかりしていたと思っていたが、まだ意識が朦朧としていた。
  ③どす黒い痰が、一日平均30回ほど出る。この時の咳き込むときの胸の傷に響いて辛い。
    手足に力が入らないし、ふやけている。少し歩くと横になりたい気分だ。約20㎝の傷に、横に通したリード線が皮膚を引っ張る
    ようで痛い。また両腕にはまだ多くのパイプが血管に刺さるように入り込み、大変不便でしかも憂鬱だ。
  ④当初ベッドから起き上がるのもひと仕事で、しかも点滴をしている棒を支えとして歩くが、数歩もしない内に疲れてベッドへ戻る
   こともしばしばあった。
  ⑤左肩と左腕の痺れで、夜中に目が覚める事が多い。この症状が今後も長引くことになる。
    この原因は心臓外科医師によると、骨を割り開く事で開胸し、この状態を約8時間も保ち、しかも神経を侵すなどにより肩の痛
    みと痺れが生じるらしい。
    この手術では仕方ないとの話である。治るには術後人によっては数カ月かかるらしい。
    痛み止めのカロナール(解熱鎮痛剤)と睡眠剤のプロチゾラムを処方されたが、効き目はなかった。
  ⑥両手足のむくみは、水分の影響だったが、数日で治まった。
  ⑦術後の体重は4㎏も減って、標準体重となった。血圧値も110/67と安定している。血糖値も、食事前で90台を維持している。
  ⑧ICUに入ったその日からリハビリが始まった。看護師や理学療法士の叱咤激励でとりあえずベッド周りを歩く程度で、疲れて
   ベッドに寝込む有様。

7/31(木)
  30日迄世話になったICUには6日間も居たことなる。今日から日誌記入を再開。リハビリ室隣の個室に変わった。
  4人病室の大部屋があるが、検査入院の時隣のいびきや装置の異常音で眠れなかったこともあって、手術後ではこれでは体が持た
  ないので、差額費用は掛かるが個室にこだわった。
  本格的に体力作りのための運動が始まった。まずはウォーミングアップの後自転車漕ぎを約12分行い慣れてきたら20分間に延長
  した。これを午前と午後の2回行う。クールダウンもしっかり行う。
  この自転車漕ぎの時にでも、療法士による血圧測定で体調を診てくれている。

8/5(火)
  術後11日目で、胸傷周りのリード線が外された。これで体がほっとした。
  この線をとる時の痛みは辛かったなぁ。

8/6(水)

  病院の栄養士から、退院後の食事の栄養指導が行われ妻と受講した。塩分控え目とカロリー制限食事を勉強した。

8/9(土)
  退院となった。医師をはじめ看護師、療法士、検査技師など病院の方々にはお世話になった。

    ナースセンター

リハビリー室

大野病院には、検査入院7/1~7/4の4日間、手術入院7/22~8/9の18日間の計22日間入院した。
 
看護師さんには、食事配膳、頭部洗い、夜中の見回りそして療法士さんには運動指導を行っていただき皆さんにはお世話になりました。

ナースセンター

リハビリー室


  昼頃自宅に帰り、自宅2Fに上がってみたが、どっと疲れが出た。階段の昇り降りはまだ無理だった。
  自宅でも、夜中痛みや痰で何度か目が覚めた。食事後は大変疲れて横になる。

8/12(火)
  術後18日目。気が付けば痰がでるのがぐっと少なくなった。
  自宅での風呂は、浴槽に入ると心臓に負担がかかり疲れるので当分シャワーだけにする。
  数日して浴槽に入るが、湯量は胸下までにしている。肩の痛みや腕の痺れにはお湯で温めるとと気持ちがいい。湯の中で腕が
  痛くならない程度までできるだけ持ち上げ、また腕を後ろに回すなど、動く範囲を広げる運動をする。

8/20(水)
  リハビリーとしてはもっぱらウォーキングを行っている。退院してから自宅でも始めなければと思うが、外に出る気力がまだない。
  10日程経ってからやっと外に出始めた。当初町内を少し歩いただけで疲れてすぐ帰る始末だ。
  少しずつ歩数を増やしていき、1万歩を目標にして体調を見ながら歩く。気分が良ければ午前と午後2回で1時間歩くこともある。
  歩く以外には、昔から行っている朝のラジオ体操がいいね。肩は回らないが痛くならない程度で行う。

9/1(月)
  北海道大野病院には、この病院に心臓外科手術を受けた患者同士の親睦会があるのを、知った。
  「だいはつ会」と称していて、術後の情報や「緊急連絡カード」支給もあって早速会費千円で入会した。

9/18(木)
  肩の痛みと腕の痺れは、心臓外科では治療が進まないので外科医の了承を得て、整形外科で治療
  することにし、以前行っていた「八木病院」に通院した。頸部のレントゲン検査やMRI検査を行ったが、整形医の話では
  「肩関節周囲炎」と言っていたが、要するに五十肩らしい。

9/29(月)
  治療として肩関節腔内注射を打った。肩注射は週に一度しかできないようで、または5回までの制限があり、それまでには痛みが
  治まるようで期待する。
  神経ブロック治療で「ペインクリニック」の話も聞くが、副作用の怖さもあってちょっと尻込みする。

10/4(土)
  寝返りした時右肩に痛みが走り、夜中に目が覚めることがしばしばある。また左腕にはしびれがあって、
  左手が固くなってこわばって力が入らない。これを時間をかけてほぐすが指が痛む。

10/18(土)
  八木病院には、専門外の科には外部医師に委ねている。今日は脊柱専門医師による診断を受けた。
  頸部のレントゲンやMRI資料から、医師からは頸部には問題はない。症状から「関節拘縮」と診断された。今まで耳にしたことのない診断名だ。
  これを治すには肩周りと手をを動かすことで可動範囲を広げることにあるにあると、明快に言われた。
  早速帰りにグリップボールなどを購入し、常に肩や手の握りで動かすことを意識し始めた。

10/25(土) ~術後3ケ月が経過した。
 ①体重・歩数・血圧の変化
    ※体重(術後~10/25までの平均値)               体重推移グラフへ
    
     ・体重は、手術前から4㎏も減ってそのまま推移している。  平均体重 60.7㎏ 体脂肪率23.8%
        BMI=体重/身長/身長=60.7/1.65/1.65=22.3% で標準値を示す

     ・食事の内容や量は変わっていないが、なぜ4㎏も減ったのか分からないが、標準体重なので心臓負担から見ればいい傾向です

    ※ウォーキングでの歩数(8/20~10/25までの平均値)    歩数推移グラフへ

    ・毎日は実施していないが、8/20~10/25期間67日のうちウォーキングを実施したのが52日間で、その平均歩数は約5100歩と
     まだ少ないか。

    ・ウォーキング実績から、私の場合の数値は ~ これを知っておくと何かと便利です
         1歩数の歩幅は、約65㎝(脚が短いのかな。身長からマイナス100の数値となる)
         10分間での歩数は、約1100歩で約700mの距離
         1㎞の距離では、約1500歩の約14分かかる。時速では約4.3㎞/h(遅いね)

    ※血圧値(術後~10/25までの平均値)            血圧推移グラフへ

      ・上の血圧値 123mmHg  下の血圧値 72mmHg  脈拍 71回/分 脈圧 51mmHg(上下差)
      ・術前から見ると、上血圧値では約10mmHg下がっている。


   

②胸の傷跡の変化
   ~ 胸部を切開し開胸器で肋骨間を広げ、胸部鎖骨を開くために胸部正中に約20㎝の傷ができた
↓術後10日目 まだ痛々しい傷跡 術後1ケ月15日目、一部残っている      3ケ月経過で、ほぼきれい
8/4撮影 8/9撮影 10/25撮影
このコードは「心電図モニター」で、入院中付けているもの。
コードが体から外れると、ブザーが鳴る仕組みになっている。
この音が高く、夜中に起こされるのが難儀する

③体力作りに邁進
   22日間の入院で大分体力は落ちた。特にふくらはぎや太ももの筋肉は見た目でげっそり痩せた。 
   体力作りとしては、体を良く動かすことで、毎朝のラジオ体操の実施、筋力作りはスクワットや足首の屈伸でふくらはぎを作る。
   そして背中を意識する体操で姿勢を意識する。

   さらに心肺機能を高めるためにウォーキングを行う。できれば1日に1万歩を行うが無理しないで継続を図る。
   歩き方としては、ゆっくりと早くの歩き方をそれぞれ3分間実施するいわゆる"インターバル歩行"を行う。

④術後3か月過ぎても肩の痛みと痺れは改善されない。特に肩の動きが悪い
    

腕が真上に上がらない


左腕を真上に上げようとするが、今の所ここまでしか
上がらない

腕が真横に上がらない


左腕を真横に上げよと思っても、ここまでしか上がらない

同様に腕は後ろにも斜めにも上がらない

  さらに、左腕の痺れで左手の小指と薬指に力が入らないので握力もない。
  グリップボールで握る練習して大分握れるようになった。この動作はボールをポケットに入れ常に行う。
  この握りを止めたらまた手がこわばってくる。

  治療としては 
  9/18より八木病院整形に通院して、週一度の肩関節腔内注射と週2~3回の温熱療法と運動療法のリハビリに通っている。
  そして病院から処方された筋肉痛や関節痛を抑える「鎮痛消炎剤」を貼っている。
  自分としての対策として肩を温めると気持ちがいいので、「衣服に貼るカイロ」や「保温サポータ」を使っている

⑤普通に歩く分には心臓に負担は感じないが、階段の昇り降りや風呂上り、食事後そして何か作業を行ったりしたら疲れと少息切れ
 というか、胸のあたりが苦しいほどでもないが、重い感じがする。

⑥術後の傾向として、夜8時過ぎになるとなぜか眠たくなり9時過ぎには寝床に就く。どうしてだろうか

⑦11月下旬になると積雪シーズンを迎えるが、除雪作業がこの左腕の状態でできるか心配だ。

 ▶入院手術そして退院後の様子について述べたが、一応術後3ケ月の時期までの報告とする。